お知らせ&実践研究レポート

人は育つのか、育てるのか。
2011.07.07

長期の出張から、ようやく戻りました。なかなかこのBlogを更新することができず、失礼しました。

今回のある出張先で、東大の中原先生とご一緒する機会があり、人材育成に関する、とても面白い仮説を教えていただきました。「職場環境変化仮説」と「失敗不許容仮説」です。いずれも、社会の構造的に、人が育ちにくくなっている、というお話です。前者は職場の環境が変化し、人間関係が希薄になってしまった結果、人が育ちにくくなっているという仮説です。一方、後者は、世の中がなかなか失敗を許容しなくなり(すぐバッシングに走る)、失敗することが難しくなってしまった結果、なかなか学びが起きにくく、人が育ちにくいという仮説です。

わたし自身にも、確かに人が育ちにくくなっているという肌感覚があるので、この二つの仮説は妙に腹に落ちました。実際、人材育成担当者の冗談話で、「OJTという名の下の「放置プレイ」が起きている」というような笑い話を、よく伺います。また、「新人に任せることができるような雑務が職場から消えてしまい、なかなかOJTが成り立たない」というような話もよく伺います。実際、わが身を振り返っても、私たちの世代は、先輩が上司に怒られている風景から勝手に学び、多少の失敗なら赦してくれる、余裕のある上司や先輩に育てられたことを想い出します。いつの間にか、そうしたことを忘れて、「近頃の若い奴は・・」とか、「最近のゆとり世代は・・・」といった安易な括りで、思考してしまっていることに反省しました。

敬愛する経営者、りそなホールディングスの細谷会長は、「人を育てる」ということを、かなり意識的に、戦略的に、自ら取り組んでおられる経営者です。「社会的に、構造的に、人は育ちにくくなっている」という前提の下で、経営の意思として、人材を育成していくことが必要性を再認識しました。

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